<湖東の地>
この地域は、有史以前の弥生時代から開かれていたといわれております。
とくに百済(BC18〜AD660)系の多くの渡来人が韓(朝鮮)半島先端から
日本海流に乗り若狭に漂着し、冬場の豪雪を避けて近江へと南下し、
当時の先端技術(製鉄、潅概、土木、建築 etc)や
先進文化(千字文などの漢字、仏教文化 etc)を
近江にもたらし定着させていきました。
中でも5世紀末に、中国・百済・日本へと渡来した依智秦公の功績は大きく、
愛知川一帯の原生林を切開き水田地帯としての愛知郡を開拓していきました。
したがって、湖東の一帯には、
百済系の渡来人の集落が連綿と点在していたと推察されます。
<湖東三山>
西明寺(犬上郡甲良町)・金剛輪寺(愛知郡愛荘町)・百済寺(東近江市)
の三つの天台宗寺院の総称で、
滋賀県では永源寺(東近江市)と並んで紅葉の名所
<百済寺>
百済寺は、滋賀県東近江市にある天台宗の寺院。山号を釈迦山と称する。
本尊は十一面観音、開基は聖徳太子とされる。
推古14年(606年)10月21日に創建された近江の最古級寺院であり、
その位徴は北緯35.1度線上に存在します。
この線上には、西に向かって、
太郎坊(八日市)…比叡山…次郎坊(鞍馬山)…百済(光州)があり、
東に向かっては荒子観音寺…熱田神宮がほぼ同一線上に並びます。
※久しぶりにリフレッシュできました!
|

庭園本坊(喜見院の庭園) |
別名「天下遠望の名園」。
この庭は東の山を借景に山腹を利用し、
大きな池と変化に富む巨岩を配した
豪華な池泉廻遊式ならびに観賞式の庭園。
 |

天下望遠 |
近江の歴史舞台である
湖東平野と比叡・比良を一望できる
「天下望遠の名園」
 |

表参道 |
湖東三山の中で百済寺の参道は、
山門から本堂までの長さが最も長い。
その参道の両側には老杉が林立し、
支院跡の名残を残す苔むした石垣が続き、
歴史の深さを感じさせられます。 |

仁王門 |
三間二間で一対の金剛力士像が
向きあっております
その正面につり下げられた
一対の大草鞋に触れると、
身体健康・無病長寿のご利益があると
昔から言い伝えられております。
巨大なわらじは、「百寺巡礼」で有名な
五木寛之氏の願掛けわらじ。 |

本堂 |
室町時代の明応7年(1498)に火災にあい、
文亀3年(1503)に兵火をうけ、
さらに織田信長によって
天正元年(1573)全山焼失。
その後天正12年に堀秀政により仮本堂が建立。
のち天海僧正の高弟亮算が入寺し、
堂舎再興の勅許を得て諸国に勧進し、
江戸時代の慶安3年(1650)現在の本堂が竣工。 |

千年菩提樹 |
この菩提樹は、山号にちなんで古来より
「仏陀の聖樹」と崇められていたが、
天正元年に信長の焼き討ちに会い、
幹まで焼損したが、
熱が根まで及ばなかったため、
再び蘇って今日に至る。
 |